にも重なって分権論議の進展を待ち受けている。 本稿は、こうした多くの論点のうち、もっとも基本的な意味をもっと思われる都道府県の性格と機能の問題について、現行の府県機能の実態を踏まえて検討しようとするものである。なお、以下では、制度上の用語として都道府県を単に府県と呼ぶ。 2.府県制度論の現在 (1)都道府県に関する論議の変遷 戦後の地方制度改革によって、都道府県は公選知事を擁する完全自治体となった。戦後50年余が経過したが、この間、大規模な合併や広域行政圏づくりが行われた市町村と異なり、都道府県の制度についてはほとんど変更が加えられていない。しかし、都道府県の存在意義・機能や規模・区域については、繰り返し検討課題に上り、多くの論争も生んでいる。その流れを特徴ある時期ごとに区分し、簡単に振り返る3)。 (a)知事公選制の導入と府県の性格をめぐる論議(1946−47年) 敗戦後、地方制度改革を迫られた内務省は、当初、府県知事の公選について府県議会の間接選挙を提案し、GHQに拒否されると、さらに、直接公選だが、その身分は従来どおり『官吏』とするという案を提示した。その根拠は、府県はひとつの地方公共団体たると同時に国の行政区画として国家的事務を担当するという点にあったが、この案もGHQ及び衆議院に拒否され、結局「直接公選・公吏」という現在の形態に落ち着いた。戦後改革のスタート時から、自治体か国の行政区画がという府県の性格が問題になったのである。 (b)大都市制度の導入と府県の存在意義をめぐる論争(1947年一56年) 横浜、大阪等の五大市の運動が実って、1947年改正の地方自治法に「特別市」制度が導入される。「特別市」制は、特別立法により指定された大都市について、府県の区域から独立した地位を認めるもので、地方自治の二層制の例外となるものであった。これに対して、五大市を抱える府県は、独立後の残余地域との格差や府県の弱体化等を理由として強い反対運動を、ついに特別市を指定する特別立法を事実上阻止することに成功する。 その後も大都市と府県の対立は続き、その妥協策として、1956年の地方自治法改正において政令指定都市の制度が成立し、両者の対立に一応の決着がつく。こうした論争の過程
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